要害山城
所在地:山梨県甲府市上積翆寺町
2018年6月5日更新(最終訪問日 2018年6月2日) | |||
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◆概要◆ 要害山城は1520年、躑躅ヶ崎館に本拠を移した武田信虎により詰城として築かれました。 当時は駿河の今川氏親と争っており、今川家の重臣・福島正成が甲斐へ攻め込んで来ました。 この時に武田信虎の正室・大井夫人が要害山城へ避難しており、その最中に武田信玄が生まれました。 武田勝頼が滅びた後も城として使われ続け、豊臣秀吉の家臣・加藤光泰が修築した際に築かれた石垣が残っています。 その後、徳川家康が甲斐の領主となり廃城となりました。 1991年に国の史跡に指定され、2017年4月6日には続日本百名城に選出されました。 平時の居城と詰めの城がそれぞれ百名城と続百名城に選出されたのは、日本中でここだけです。 |
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登城口にある想像図 |
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南西側からの遠景 登城口前の道は拡幅されました 登城口 登城路は整備され歩きやすいです 竪堀 石垣もあります 最初に現れた門跡 不動曲輪 2番目の門跡 門を過ぎるとまたしても水平な曲輪 奥まで進むと再び門跡 4番目の門跡 様子が変わりましたが その先には大き目の枡形門があります その先に再び小さな門跡 ようやく主郭に到着(登城口から30分) 一番奥に高い土塁が見えます 武田信玄公誕生之地碑 by 東郷平八郎 主郭の一番奥にある高土塁 土塁の裏には大きな堀切があります 右が主郭です |
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