湯浅城

所在地:和歌山県有田郡湯浅町青木
2012年4月3日更新(訪問日:2007年9月17日)

◆概要◆


湯浅城は平安時代に湯浅氏により築かれました。 現在は立派な城郭風建築物が建っていますが、実際の城跡は青木山に築かれた山城でした。 湯浅氏は血縁で結ばれた一族が結束し、湯浅党と呼ばれる勢力を築きました。 有名なのは1160年、平清盛が熊野詣の間に源義朝が挙兵した平治の乱で、湯浅宗重が平清盛を無事に京へ送った事です。 この時の手柄により、湯浅氏は平氏に仕えて勢力を拡大することとなりました。 しかし、一方では源氏とのつながりも保ち続け、鎌倉時代には湯浅荘の地頭となっています。 南北朝時代に湯浅党は南朝側につき、河内の楠木氏や和泉・紀伊の畠山氏とともに北朝方と戦いました。 1379年、和泉・土丸城で挙兵した南朝方の橋本正督を討伐した北朝方の山名義理が、余勢をかって湯浅城を含む南朝方の諸城を攻め落としました。 その後、後村上天皇の孫・義有王が紀伊北山で挙兵したものの敗れ、楠木氏残党とともに湯浅城に籠りましたが、1447年、室町幕府管領で紀伊守護の畠山氏により攻め落とされました。 城跡には現在でも、土塁や堀などの遺構が残っています。
湯浅城
国民宿舎湯浅城
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