和歌山城
所在地:和歌山市一番丁
2018年11月25日更新(最終訪問日 2018年11月24日) | |||
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◆概要◆ 豊臣秀吉による紀州征伐の後、紀伊を与えられた豊臣秀長により築かれました。 豊臣秀吉の信頼を得ていた桑山重晴が豊臣秀長の家老に就き、同時に和歌山城の城代となりました。 桑山重晴の没後は孫の桑山一晴が城代となりましたが、関ヶ原の戦で西軍に味方したため改易されました。 この時に紀州37万石を与えられた浅野幸長は、改易された福島正則に代わって1619年に広島城へ移りました。 徳川家康の十男・徳川頼宣が55万5千石で入城し、以後、紀州徳川家の居城となりました。 和歌山市の中心部にある虎伏山に築かれ、紀の川を天然の堀としていました。 本丸の北側に二の丸、その外に大きく三の丸が配されていました。 石垣、堀をはじめ、岡口門と土塀、追廻門が現存し、大小天守群とそれに続く櫓・門、大手門・一之橋が復元されています。 現在は本丸と二の丸が和歌山公園、本丸南西部に和歌山縣護國神社があり、南の丸には和歌山公園動物園があります。 三の丸跡には県庁、市役所や消防局、裁判所、検察庁などの公的機関や学校、美術館、博物館などがあります。 |
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奥山稲荷神社から見た天守 岡公園から見た天守 御廊下橋の北から見た天守 不明門跡 不明門跡にある駐車場 新裏坂の石段 新裏坂西側の石垣 護国神社参道脇の土塁 追廻門内側の石垣 追廻門 砂の丸広場外側の石垣 西外堀 吹上門跡 西の丸広場 西の丸広場から見た天守 御廊下橋と天守 北堀 一の橋と大手門 大手門の内側 東堀 東堀 旧大村家住宅長屋門 岡口門 岡口門から見える高石垣 岡中門跡 表坂の石垣 一中門跡 伏虎像 二の丸 裏坂登り口 裏坂 本丸には入れません スタンプ設置場所のチケット売場 |
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