田辺城

所在地:和歌山県田辺市上屋敷町
2011年9月6日(訪問日:2011年7月31日)

◆概要◆


関ヶ原の戦での功により、浅野幸長が紀州37万石の領主となりました。 家老の浅野氏定は紀伊に入国当初は上野山城に入城しましたが、1603年に会津川河口右岸に洲崎城を築きました。 しかし、高波により洲崎城が破壊されたため、会津川の対岸に湊城を築いて移りました。 1615年の一国一城令により陣屋となりましたが、1619年に徳川家康の十男・徳川頼宣が紀州藩主となると、付家老・安藤直次が湊城に入城しました。 安藤直次は湊城を拡張し、田辺城を築きました。 幕末頃になるとアメリカ船が来航するようになって沿岸警備が強化されると、田辺城にも大規模な改修を加えられました。 海岸から近いため移転することになりましたが、移転先の城は結局築かれず、藩も移転しませんでした。 その後、田辺藩は紀伊藩から独立しましたが、3年後には廃藩置県のため廃城となりました。 城跡は市街地化が進み、現在では残された遺構は会津川に面した水門のみとなっています。
田辺城
水門跡
inserted by FC2 system