新宮周防守屋敷

所在地:和歌山県新宮市別当屋敷町(本廣寺)
2011年10月15日(訪問日:2011年7月31日)

◆概要◆


熊野は熊野三社を統轄する熊野別当により支配されてきました。 これは白河上皇が1090年に熊野に行幸した後、所領と官位を与えたことに由来しました。 以来、南北朝時代中期まで熊野別当が勢力を振るいました。 新宮氏は源頼朝の伯父・源行家を祖とする一族です。 源行家は源頼朝と反目したため討たれましたが、子孫は下熊野の行家屋敷を拠点として家名を保っていました。 源行家の姉が有名な丹鶴姫であり、源頼朝から所領を与えられていました。 そのため、丹鶴姫が嫁いだ熊野別当家はますます栄えました。 しかし、南北朝時代になると熊野別当家は北朝方と南朝方に分裂し、それが元で次第に勢力が衰えました。 そのため細分化して諸勢力が争うようになりましたが、最終的には武士化した7人の上位役僧(七上綱)による合議制が採用されました。 その中に新宮氏も含まれていました。 戦国時代になると、新宮周防守行栄が行家屋敷から新宮に移り住みました。 その時に築いたのが新宮周防守屋敷です。 しかし1591年に勢力を増した堀内氏善により滅ぼされてしまいました。 現在、屋敷跡は本廣寺となっており、江戸時代に新宮を支配した水野家の菩提寺となっています。
新宮周防守屋敷
本廣寺山門
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