太田城

所在地:和歌山市太田
2012年4月2日(訪問日:2011年8月1日)

◆概要◆


太田城は室町時代に紀伊国造・紀俊連により築かれました。 紀俊連は紀伊日前・国懸神宮の神職で、太田城の他に忌部城、三葛城など神宮領に城を築きました。 城域は来迎寺を中心に二町半(約270m)四方あり、周囲を深い堀と高い土塁で囲み、要所要所に櫓を設けていました。 平城ながらその防御力はかなりのもので、力攻めで攻め落とされたことはありません。 有名な戦いは1585年にあった第二次太田城の戦で、豊臣秀吉により水攻めが行われました。 この時は豊臣軍10万に対して5千人で籠城していましたが、水攻めにより城主以下53名が自刃することで和議が結ばれました。 豊臣秀吉により廃城とされた後、日本三大水攻めのあった城跡は住宅街となり消滅しました。 唯一の遺構である大門が、大立寺に移築され山門として現存しています。
太田城
来迎寺の山門と説明板
太田城
太田城水攻めの小山塚(来迎寺)
太田城
移築城門(大立寺山門)
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