小松原館

所在地:和歌山県御坊市湯川町小松原
2012年3月31日(訪問日:2011年8月1日)

◆概要◆


小松原館は戦国時代に紀伊最大の国人領主であった湯川氏の居館でした。 湯川氏は鎌倉時代末期の1300年頃熊野に入った武田忠長を祖とする一族です。 武田忠長は山賊退治で武名を挙げ、朝廷より紀伊・牟婁郡を与えられました。 その後、周辺の国人領主を支配下に置くようになり、次第に勢力を拡大しました。 南北朝時代には北朝方に属し、南朝方の湯浅党と戦いました。 この頃に亀山城を築いて本拠にしています。 足利尊氏が紀伊の南朝勢力と雌雄を決しようと大軍で攻めた時には、南から南朝方を挟み撃ちにすることで勝利に貢献。 以後は紀伊で不動の地位を築き上げました。 戦国時代には畠山氏が紀伊守護になりましたが、湯川氏を強引に配下にしようしたものの失敗。 紀伊は幕府に従わない国人達が実効支配する国となりました。 しかし、1585年の豊臣秀吉による紀州征伐で、湯川氏は抵抗したため滅ぼされました。 湯川氏居館の跡地には現在、子安神社があります。 湯川直春が安産を浅間神社に祈願し、その分霊を明神社と共に祀ったのが始まりとされます。 落城の際、湯川直春が子安大明神神社を再興するよう兵に命じたと伝わります。 境内には館の水堀の一部が現存しています。
小松原館
跡地にある紀央館高校
小松原館
城址碑と湯川子安神社の鳥居
小松原館
水堀
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