安宅本城 | |
●地図● 和歌山県西牟婁郡白浜町安宅 | 2011年11月2日(訪問日:2011年7月31日) |
◆概要◆
安宅本城は河内・紀伊・阿波の守護となった小笠原氏が熊野に所領を得た1330年頃に築かれました。
熊野を本拠とした小笠原頼春は、地名を多知から安宅に改めて、自らも安宅姓を名乗るようになりました。
周囲には多数の支城が築かれており、日野川対岸にある日置大野城の他に、詰めの城として北300mの所にある八幡山城、東の勝山に勝山城、日置川上流には中山城や土井城などがありました。
安宅氏は小笠原氏の末裔であり、畿内一円を支配下に置いた三好氏や阿波の十河氏と同族です。
安宅氏は熊野水軍を率いて紀伊水道や熊野灘の海上交通を掌握していました。
一大勢力を築き上げた安宅氏でしたが、内訌により大きく衰退しました。
1526年に当主・安宅実俊が没した際、子の安宅安定が幼かったため安宅実俊の弟・定俊が一時的に家督を継ぎました。
しかし、1530年、安宅安定が元服しても安宅定俊が家督を返さなかったため、「安宅一乱」と呼ばれる争いとなりました。
この争いでは安宅定俊が敗れ切腹しましたが、勝利した安宅安定側も大きく消耗。
1585年、豊臣秀吉による紀州征伐を受け、豊臣秀長に従いました。
現在、城跡は水田地帯に点在しており、石積みなどが残っています。
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![]() 水田の中に残る石積み |
![]() 遠景 |
![]() 石積み |