富山城
所在地:富山市本丸
2022年6月25日更新(最終訪問日 2018年7月14日) | |||
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◆概要◆ 越中守護代・神保長職が家臣の水越勝重に命じて築いたとされます。 神通川を城の防御に利用し、水に浮いたように見えるために「浮城」の異名をとりました。 富山は越中のほぼ中央に位置して交通の要衝にあたるため、争奪の的となり抗争が繰り返されました。 織田信長の家臣・佐々成政が城主となると、大規模な改修を加えました。 しかし、佐々成政が豊臣秀吉と袂を分かつと10万の大軍に囲まれ降伏し、富山城は破却されました。 越中が前田利長に与えられると富山城に大改修を行い、この城で隠居しました。 一時主要部を焼失して高岡城に移っていましたが、三代藩主・前田利常の次男・利次が幕府の許しを得て富山城を本格的に修復。 以後、富山前田氏13代の居城として明治維新を迎えました。 廃藩置県により廃城となると建築物は払い下げられました。 1954年に戦後最初の模擬天守が建築され、富山市郷土博物館となりました。 |
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案内図(南北逆です) 城址公園整備計画イメージ図 |
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北側を流れる松川 富山城・城址公園 土塁の痕跡 西側の内堀跡 南側の内堀 郷土博物館 本丸南側の虎口 本丸南側の虎口 本丸南側の虎口 郷土博物館 郷土博物館 土塁 千歳御門(移築現存) 佐藤記念美術館 建物が古いせいかそれっぽく見えます |
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