米子城
所在地:鳥取県米子市久米町
2019年8月16日更新(最終訪問日 2019年8月5日) | ||||
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◆概要◆ 標高90メートルの湊山山頂に築かれ、西伯耆から出雲の平野部や日本海、中海、島根半島、中国山地が一望できます。 米子城は応仁の乱(1467-77年)の時に、西軍の伯耆国・山名氏が東軍の出雲国・尼子氏に備えて飯山に築いたとされます。 大永の五月崩れ(1524年)で落城し、尼子氏の城となりました。 その後、1562年に毛利氏が尼子氏を攻略し、再び山名氏の城となりました。 山中鹿之助が尼子氏再興の挙兵をした1569年、米子城主が内応しましたが、吉川元春に攻められて落城しました。 1591年に吉川広家が現在の位置に築城を開始し、関ヶ原の戦の後の1600年、中村一忠により完成しました。 吉川広家が天守を築いていましたが、その横に中村一忠が一回り大きな天守を建てました。 そのため、吉川広家の建てた天守は副天守や四重櫓と呼ばれるようになりました。 現在も天守台や本丸の石垣、枡形門の石垣などが残り、湊山公園として整備されています。 |
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![]() 湊川公園案内図(城山部分を抜粋、西が上です) |
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![]() 北側の登城口 ![]() 登城路は緩やかです ![]() 本丸と内膳丸の間の鞍部 ![]() 鞍部から見た内膳丸 ![]() 内膳丸の虎口 ![]() 内膳丸の下段 ![]() 内膳丸の中央にある段差 ![]() 内膳丸の上段 ![]() 内膳丸の一番奥から見た本丸方向 ![]() 鞍部から本丸へ上がる石段 ![]() 番所脇の門跡 ![]() 番所跡 ![]() 番所跡から見た本丸の石垣 ![]() 鉄御門跡 ![]() 上から見た鉄御門跡 ![]() 本丸 ![]() 四阿にスタンプがあります ![]() 本丸西側の門跡 ![]() 本丸から見た天守台 ![]() 天守台の礎石 ![]() 本丸から見た内膳丸 ![]() 鞍部から枡形門跡へ下る道 ![]() 旧小原家長屋門 ![]() 枡形門跡 |
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