鳥取城
所在地:鳥取市東町
2019年8月14日更新(最終訪問日 2019年8月5日) | ||||||
|
||||||
|
||||||
◆概要◆ 戦国時代中頃に但馬山名氏が築いたとされます。 山名氏は但馬山名氏と因幡山名氏が争っていましたが、因幡山名氏の家臣・武田高信が徐々に力をつけました。 武田氏は主家を滅亡寸前まで追い詰めて因幡国を掌握しましたが、尼子氏の残党と組んだ山名豊国に破れ、和議の場で謀殺されました。 その後は毛利氏と尼子氏残党、山名氏による争奪戦が繰り広げられましたが、羽柴秀吉による「鳥取渇殺」により終止符が打たれました。 その後、江戸時代に城主となった池田氏により30万石にふさわしい城として大改修を受け、総石垣の城となりました。 明治時代に入り建造物は全て破却されましたが、明治40年に皇太子の宿舎として建てられた仁風閣が現存しています。 また、三の丸跡は鳥取西高校の敷地となっています。 |
||||||
|
||||||
山上ノ丸案内図 |
||||||
箕浦家武家門 吉川経家像 水堀と久松山 太鼓御門跡 中仕切門 二の丸石垣 二の丸三階櫓跡 二の丸菱櫓跡 表御門跡 天球丸の石垣 天球丸から見た表御門跡 仁風閣 登山口にある中坂稲荷神社 神社右脇の石段から登ります 天球丸を通ります 天球丸の巻石垣が見られます 登山口 八幡宮跡の石垣 登山道は石段が多いです 山上ノ丸の入口(比高200m、30分) 山上ノ丸二ノ丸 山上ノ丸三ノ丸 山上ノ丸本丸の虎口 山上ノ丸本丸 山上ノ丸本丸の天守台 山上ノ丸からの眺め 羽柴秀吉が陣を置いた本陣山 |
||||||