鹿野城
所在地:鳥取市鹿野町鹿野
2019年6月8日更新(訪問日:2010年7月31日) | |
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◆概要◆ 室町時代はじめ頃に志加奴氏により築かれたと伝わります。 その後は鹿野氏と表記されますが、1544年に因幡へ侵攻してきた尼子晴久に攻められて城主・鹿野入道などが討たれました。 しかし、因幡守護・山名祐豊の反撃により、間もなく奪還されています。 1563年には山名家重臣・武田高信の謀反により、居城を追われた山名豊数が鹿野城に退きました。 山名豊数はこの頃から史料に現れなくなり、山名家は武田高信が推して因幡国で勢力を拡大しました。 その後、山名豊数の弟・山名豊国が毛利家に滅ぼされた尼子家残党と組んで武田高信を争い、因幡国の実権を取り戻しました。 山名豊国は織田信長と誼を通じましたが、羽柴秀吉が侵攻すると家臣団の多くが反発し、毛利軍の援軍を得て抵抗しました。 羽柴軍が吉川経家が立て籠る鳥取城を攻めた1580年、織田家臣の亀井茲矩が城主となりました。 亀井茲矩は鹿野城を石垣を多用した近代城郭へと改修しました。 1617年に亀井茲矩が津和野へ移封となり、鳥取藩主となった池田光政の家老・日置忠俊が城主となりました。 日置忠俊は鳥取城と城下町の造営、大坂城改修などで活躍した人物です。 1632年に岡山藩のゴタゴタを理由に岡山藩と鳥取藩が入れ替えとなり、鳥取藩は幼い池田光伸が藩主となりました。 鹿野には代官・佐藤知之が派遣されましたが、1644年に廃城となり破却されました。 |
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説明板 |
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水堀 二の丸 城跡にある中学校 城山神社 天守台 天守台からの眺め |
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