志村城

所在地:東京都板橋区志村2丁目
2017年6月18日更新(訪問日:2011年8月13日)

◆概要◆


志村城は築城年代は不明だが、豊島氏一族の志村氏により平安時代に築かれたと考えられています。 二の丸跡に現在も鎮座する熊野神社の社伝では、1042年に志村将監が紀州熊野から勧進して創建したとされています。 神社のある所に後から城を築くとは考えにくく、城の中に戦勝祈願として神社を構えたと思われます。 1455年に古河公方と上杉氏が争った享徳の乱で豊島氏が敗れ、志村城は千葉実胤・自胤兄弟の親類である千葉信胤が城主となりました。 その後、本家の豊島氏は1477年に長尾景春の乱で太田道灌により滅ぼされました。 しかし、扇谷上杉氏は讒言により太田道灌を暗殺して没落し、後北条氏により次第に領地を侵食され始めました。 1524年には北条氏綱により江戸城が陥落し、志村城もこの時に落城したと伝わっています。 武蔵千葉氏は後北条氏に仕えて1590年の小田原征伐で滅びていますので、志村城もこの時に廃城になったと考えられます。 城は荒川の南岸にある舌状台地の地形を利用して築かれ、志村三丁目駅側は断崖となっています。 二の丸跡には熊野神社が残り、社殿の脇には空堀も現存しています。 また、社殿からまっすぐ南に延びる参道には城址碑が設置されています。 その西にあったとされる本丸跡は開発され、高層マンションが建ち並んでいます。
志村城 城山公園
志村城山公園の入口
志村城 北側
北側は急峻な斜面です
志村城 熊野神社
熊野神社
志村城 城址碑と説明板
参道脇に城址碑と説明板があります
志村城 城址碑
城址碑
志村城 堀跡
社殿西側に残る堀跡
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