世田谷城
所在地:東京都世田谷区豪徳寺
2017年6月18日更新(訪問日:2011年7月9日) | |
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◆概要◆ 世田谷城は1366年に吉良治家により築かれました。 武蔵に土着した吉良氏は武蔵吉良氏と呼ばれ、足利義氏の四男・吉良義継(東条吉良氏)を祖とします。 東条吉良氏は奥州管領を務めていましたが、幼少の当主の後見を巡る争いがあり、吉良治家が敗れました。 吉良治家は鎌倉公方・足利基氏に招かれて上野国に移り、その後、武蔵国世田谷に城を構えて土着しました。 世田谷城は1530年に扇谷上杉氏と後北条氏の戦いで落城しましたが、後に吉良氏に返されています。 吉良氏は関東の覇者となった後北条氏と婚姻関係を結ぶことで続きましたが、後北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされると世田谷の実相院に籠居しました。 その後、江戸時代になり家郭の高さが認められて高家に取り立てられると、領地の蒔田から蒔田氏を名乗るようになりました。 尚、赤穂事件により三河吉良氏が断絶すると、吉良姓に復姓しています。 館跡にある豪徳寺は吉良政忠が叔母を弔うために城内に築いた弘徳院という庵が始まりで、彦根藩主の井伊直孝が1633年に井伊氏の菩提寺として伽藍を整備したものです。 |
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世田谷城址公園 堀跡 堀跡 堀跡 堀跡 堀跡 豪徳寺山門 本堂 土塁 |
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