深大寺城
所在地:東京都調布市深大寺元町
2017年5月30日更新(訪問日:2011年8月13日) | |
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◆概要◆ 築城時期は不明ですが、15世紀には「ふるき郭」と呼ばれていました。 当時、扇谷上杉朝興は河越城を本拠地としていましたが、北条氏綱が武蔵に勢力を伸ばし始めており、扇谷上杉氏と後北条氏は南武蔵で合戦を繰り返していました。 1524年には北条氏綱に江戸城を奪われたため、扇谷上杉朝興は河越城防御の最前線として深大寺城を整備したと考えられています。 これに対して北条氏綱は、扇谷上杉朝興が没した1537年に深大寺城周辺に付け城を築いて牽制し、直接河越城を攻撃しました。 この時の戦で後北条軍が大勝し、扇谷上杉朝定は松山城に退きました。 深大寺城は役割を果たすことなく軍事的価値を失い、そのまま廃城になったものと考えられています。 そのため、後北条氏による改修を受けておらず、扇谷上杉氏の築城術を後世に伝える貴重な遺構となっています。 現在は第三郭はテニスコートとなり破壊されましたが、第一郭と第二郭が神代水生植物園内に残っています。 |
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案内図 |
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水生植物園の広い場所が第二郭です 奥の方に進むと礎石跡があります その脇に土塁と堀があります 土塁は外周に沿って続きます 木が茂っている所の入口が虎口です |
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