平塚城

所在地:東京都北区西ヶ原2丁目
2017年5月29日更新(訪問日:2011年8月13日)

◆概要◆


平塚城は平安時代末期に豊島近義により築かれました。 奥州清原氏の内乱を収めた後三年の役(1083〜87年)からの帰還中に源義家が立ち寄り、豊島近義の心のこもった饗応に感激して、自らの鎧一領と十一面観音像を下賜しました。 豊島近義はこの鎧を清浄な地に埋めて鎧塚を築き、一族の繁栄を祈願したと伝わります。 鎧塚は高さが無く平らに見えることから「平塚」とも呼ばれ、地名の由来となりました。 その後、豊島氏は次第に勢力を拡大して武蔵国の大半を支配する大領主となり、平塚城は代々惣領家の居城となりました。 しかし、室町時代の1477年に長尾景春が乱を起こすとこれに呼応したため、翌1478年に扇谷上杉氏の家宰・太田道灌により攻め落とされました。 落城後は城として使われることはなく、廃城になったと考えられています。 現在、平塚神社のある台地が平塚城跡地と考えられていますが、正確な位置は特定できていません。
平塚城 平塚神社
平塚神社の社殿
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