徳島城
所在地:徳島市徳島町
2018年8月11日更新(最終訪問日 2018年8月4日) | |||
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◆概要◆ 徳島城は徳島市の中心部に位置しており、吉野川河口付近の中洲に位置する標高61メートルの城山を中心に築かれた梯郭式の平山城です。 吉野川から分流する助任川、福島川、新町川、寺島川(現在は埋め立てられている)を外堀としていました。 阿波国は鎌倉時代は河野氏が支配していましたが、室町時代に入り細川氏が支配するようになりました。 南北朝時代の1385年に細川頼之が現在の地に小さな城を築き、地名を「渭津」と改めました。 その後、戦国時代に至るまで、城主がたびたび代わりました。 1585年、豊臣秀吉により長宗我部元親が討伐されると、蜂須賀家政が阿波一国の主となり、一宮城に入りました。 しかし、不便な山城を嫌って総石垣の近代的な城郭として大改修を加え、徳島城を居城とするようになりました。 以後、明治時代に至るまで蜂須賀氏が代々城主を務め、1869年の版籍奉還により廃城となりました。 廃城後は建築物が次々に破却され、太平洋戦争の徳島大空襲で唯一残されていた鷲之門が焼失しました。 鷲之門は1989年に復元され、同時に徳島城博物館が開館して現在に至ります。 |
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城の北側を流れる助任川 北側の登城口 本丸北側の石垣 本丸北側の埋門跡 本丸内部 本丸西端にある弓櫓跡 本丸西側の門跡 本丸西側の門跡と弓櫓の石垣 西二の丸 帳櫓跡 西二の丸の虎口 西二の丸の虎口 西三の丸 西三の丸の虎口 西三の丸の虎口 本丸東側の門跡 本丸東側の石垣 天守があった東二の丸 東二の丸の門跡 本丸南側の登城口 南側の石垣 南側JR沿いの土塁は痕跡程度 徳島城博物館 蜂須賀家政像 大手門の桝形 下乗橋と大手門 鷲之門 城址碑と堀 堀 数寄屋橋 |
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