皆川城

所在地:栃木市皆川城内町
2011年9月10日(訪問日:2011年7月16日)

◆概要◆


皆川城は比高70メートル程の山の地形をそのまま利用しており、その形状から別名・法螺貝城とも呼ばれています。 頂上に主郭、西側に広い二郭があり、その周囲を階段状に幾重もの腰郭が取り巻いています。 麓にある皆川地区公民館が居館跡であり、周辺に土塁や水堀の跡が残っています。 皆川氏は小山宗政の孫・長沼宗員が皆川荘を支配し、皆川姓を名乗ったことから始まります。 宇都宮氏や結城氏などの勢力に囲まれていたため、時に従い、時に背くなどを繰り返して家名を保ちました。 最後の城主・皆川広照も処世術に長けており、織田信長に名馬を贈ったり、織田信長の死後は豊臣秀吉や徳川家康とも誼を通じていました。 後北条氏に攻められ降伏して従いましたが、豊臣秀吉により後北条氏が滅ぼされる寸前に脱出して徳川家康に仕えました。 皆川城は上杉景勝などの北国勢に攻め落とされていたため、新たに栃木城を築き皆川城を廃城としました。 城跡は良い状態で残されており、それほど高い山でもないため気軽に登ることができます。
皆川城 図
皆川城址公園案内図
皆川城
遠景
皆川城
模型の写真
皆川城
城址碑
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