祇園城
所在地:栃木県小山市城山町1丁目
2011年8月14日(訪問日:2011年7月16日) | |
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◆概要◆ 小山城は小山駅の西へ約500メートルの所にある思川東岸の台地上にありました。 城は南北に長く、西側は思川の侵蝕によって切り立った崖になっていて、天然の要害となっています。 東側は宅地造成が進んで旧状を失っていますが、台地の部分には中世の名城の面影がよく残り、城山公園の名で市民に親しまれています。 縄張りは幅10メートル以上の空堀と土塁で仕切られた曲輪が並び、天翁院の北側の塁濠が城の北限を示しています。 南は思水荘一帯に及んでいますが、南限は明瞭ではありません。 小山氏は関東有数の豪族領主として知られ、初代・小山政光以来、鎌倉幕府内で威勢を張りました。 第11代・小山義政の代に関東公方・足利氏満に叛したため滅ぼされました。 その後、室町幕府の配慮により同族結城氏から結城基光の次男・泰朝が小山家を再興し、第2次小山氏の祖となりました。 小山泰朝はおそらくこの城址の一郭に居城としたと考えられていますが、場所はわかっていません。 その後、第3代・小山持政の時に大いに拡張整備されたと考えられています。 戦国時代末期の第9代・小山政種は、1590年にあった豊臣秀吉の小田原征伐で後北条氏に加担したため、第2次小山氏も滅びました。 天翁院には小山氏の墓地があり、多数の板碑が保管されています。 |
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城山公園案内図 |
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県道沿いの公園入口 曲輪 土塁 堀切 |
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