高天神城
所在地:静岡県掛川市上土方・下土方
2018年9月20日更新(最終訪問日 2018年9月15日) | |||||
|
|||||
◆概要◆ 平安時代末に渭伊隼人直孝が築いた砦が始まりとされます。 室町時代になると駿河守護・今川氏が斯波氏の手に渡った遠江を奪い返そうと、侵攻の拠点として改修を加えました。 1568年に今川氏が滅びた後は、遠江をめぐり武田信玄と徳川家康が争奪戦を繰り広げましたが、武田信玄は高天神城を降すことなく世を去りました。 しかし、1574年5月に武田勝頼が攻め寄せると、城主・小笠原長忠は約1ヶ月籠城した末に降伏し、武田勝頼の遠江侵攻の拠点となりました。 そのため、徳川家康は周囲に付城をいくつも築いて包囲して攻撃を続けました。 そして1575年5月の長篠の戦い以降、勢力が衰えた武田勝頼は高天神城に援軍を送ることが出来なくなり、1581年3月22日に落城しました。 間もなく武田勝頼が織田信長に滅ぼされたため、役割を終えた高天神城はそのまま廃城となりました。 |
|||||
![]() 追手口にある案内図 |
|||||
![]() 続日本百名城スタンプ設置場所の案内図 |
|||||
|
|||||
![]() 搦手口 ![]() 搦手の登城路 ![]() 御前曲輪の入口 ![]() 追手口 ![]() 追手門跡 ![]() 追手門上にあった着到櫓跡 ![]() 三の丸 ![]() 本丸への道 ![]() 御前曲輪 ![]() 御前曲輪の虎口 ![]() 本丸 ![]() 本丸の虎口 ![]() 大河内政局石牢への道 ![]() 大河内政局石牢跡 ![]() 的場曲輪 ![]() 的場曲輪の入口 ![]() 鞍部にある鐘曲輪(井戸曲輪の下) ![]() 搦手からの登城路 ![]() 井戸曲輪 ![]() 二の丸への道 ![]() 二の丸 ![]() 虎口 ![]() 二の丸堂ノ尾曲輪の1つ目の堀切 ![]() 二の丸堂ノ尾曲輪の2つ目の堀切 ![]() 二の丸堂ノ尾曲輪に並行する横堀 ![]() 二の丸の虎口 ![]() 西の丸 ![]() 高天神社 ![]() 高天神社のすぐ裏にある堀切 ![]() 馬場平 ![]() 犬戻り猿戻りの細道 ![]() 社務所裏の奥にある堀切 ![]() 社務所裏の奥にある堀切 |
|||||