駿府城
所在地:静岡市葵区駿府城公園
2016年2月27日更新(最終訪問日 2015年1月25日) | |||
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◆概要◆ 室町時代に駿河守護・今川家によりこの地に築かれた今川館が始まりとされます。 今川家は室町将軍家から御一家として遇された吉良家の分家にあたります。 足利宗家が断絶した場合は吉良家とともに足利宗家と征夷大将軍職の継承権が発生する特別な家柄でした。 1560年に今川義元が桶狭間で戦死すると武田信玄が駿河に侵攻し、今川館は焼失しました。 武田信玄の家臣・穴山信君は、新たに江尻城を築いて駿河支配の拠点としました。 1582年に武田家が滅亡した後、駿河を支配した徳川家康により駿府城が築かれました。 1590年に徳川家康が関東へ移封されると、豊臣秀吉の家臣・中村一氏が駿府城主となりました。 その後、徳川家康が再び駿河を支配下に収めると、江戸時代初期にその隠居城となり大修築が行われました。 1607年の完成直後に焼失したものの直ちに再建され、六重七階の天守と隅櫓や多聞櫓が建てられました。 大御所政治時代の駿府は政治・経済の中心として大いに繁栄しました。 明治になると廃藩置県により廃城となり、城郭施設は取り壊されました。 戦後、静岡市に払い下げられて駿府公園として整備されました。 駿府公園を囲む堀は二の丸の堀で、本丸の堀は埋められて本丸と二の丸が一体となっています。 近年、二の丸巽櫓、東御門(櫓門)と続多聞櫓、本丸堀、未申櫓などが復元されました。 |
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巽櫓と東御門 東御門 坤櫓 二ノ丸の堀 東御門(内側から) 坤櫓(内側から) 駿府公園内部 本丸堀 二ノ丸水路の石垣 徳川家康像 天守台跡(何もありません) 城址碑 |
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