浜松城
所在地:静岡県浜松市中区元城町
2018年9月28日更新(最終訪問日 2018年9月15日) | |||
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◆概要◆ 前身は今川了俊の孫・今川貞相が築いた曳馬城とされます。 遠江の支配権を巡って今川氏と斯波氏が抗争すると、この地を支配していた大河内貞綱は斯波氏に味方し、一時期は斯波氏の支配地域となりました。 しかし、1517年に今川氏親が斯波義達を破って曳馬城を奪還し、飯尾氏が城主となりました。 今川氏の勢力が衰えると徳川家康が遠江に進出し、1568年末に攻略。 1570年には武田信玄の侵攻に備える為、曳馬城を西南方向に拡張して、地名・城明ともども「浜松」と改めて、本拠地を岡崎城から浜松城へ移しました。 1586年に徳川家康は本拠を駿府城に移し1590年に関東に移されると、豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が城主となりました。 関ヶ原の戦いの後は徳川家の譜代大名が入れ替わり城主を務めています。 歴代城主の中には幕府の要職に登用された者も多く、後に「出世城」と呼ばれるようになりました。 明治維新後に廃城となり破壊されましたが、1950年に「浜松城公園」となり、1958年には鉄筋コンクリート製の模擬天守閣が建てられました。 現在は桜の名所として知られ、シーズンには花見客でにぎわっています。 |
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元城町東照宮(曳馬城跡)にある説明板の図 |
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二の丸跡 二の丸跡から見上げた本丸 若き日の徳川家康像 本丸の石垣 天守門と天守 本丸の石垣 天守 内側から見た天守門 埋門跡 三の丸跡から見た本丸 駐車場から見た曳馬城跡 元城町東照宮(曳馬城跡) 曳馬城の城址碑と説明板 徳川家康像 豊臣秀吉像 |
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