深澤城
所在地:静岡県御殿場市深沢
2017年3月26日更新(訪問日 2010年7月17日) | |
|
|
◆概要◆ 1569年に武田信玄が駿河に侵攻し、今川氏真は同盟を結んでいた相模の北条氏政のもとへ逃れました。 北条氏政はすぐさま旧今川領の確保に動き、駿河の東半分を制圧しました。 この時に相模の入口にあたる当地に防衛拠点として築かれたのが深澤城でした。 守将には河越城を関東の大軍から守り抜いた実績のある北条綱成が置かれました。 1570年11月、深澤城を包囲した武田信玄は、金山衆に城の下に通じる穴を掘らせて攻めました。 翌年1月3日に武田信玄は深澤城に矢文で開城を迫り、北条綱成は城を明け渡しました。 北条氏政は何度か奪回を試みたものの失敗し、武田信玄の重臣・駒井右京之進が城主なり守りました。 武田勝頼が滅びた後の1582年、徳川家康が織田信雄に加勢して小牧山で羽柴秀吉と戦った際、後北条軍への備えとして守備兵が置かれましたが、以後使われなくなり廃城となりました。 城跡は田畑となりかなり消滅してしまいましたが、それでも三日月堀が残っており、市内の大雲院には大手門が移築されています。 移築門は1923年の関東大震災で倒壊しましたが、1950年に復元されました。 |
|
案内図 |
|
三日月堀 二の丸 本丸 本丸の入口脇にある空堀 大雲院にある復元移築門 城址碑 |
|