長浜城 | |
●地図● 滋賀県長浜市公園町 | 2018年10月7日更新(訪問日:2010年9月18日) |
◆概要◆
長浜城は羽柴秀吉が最初に築いた居城であり、城下町経営の基礎を醸成した所でもあります。
1573年、浅井長政を攻め滅ぼした戦功により木下藤吉郎に今浜の地が与えられました。
この時に羽柴秀吉と改名し、地名も長浜に改めました。
築城資材は廃城となった小谷城や琵琶湖に浮かぶ竹生島に隠されていた材木などを使い、小谷城下から城下町も移しています。
1582年の本能寺の変後、長浜は柴田勝家の領地となり甥の柴田勝豊が入城しましたた。
しかし、まもなく羽柴秀吉に攻められ落城し、賤ヶ岳の戦い後は山内一豊が6年間在城しました。
その後、内藤信成・信正が城主になりますが、1615年に廃城にとなって資材の大半は彦根城の築城に流用されました。
彦根城の天秤櫓は長浜城から移したものと伝えられています。
その他、長浜市内にある大通寺の台所門は長浜城大手門を移築したものと伝わり、矢尻の跡を見ることができます。
また、同市内にある知善院の表門は、長浜城の搦手門を移したものと伝わっています。
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