四ツ山城
所在地:埼玉県比企郡小川町高見
2017年7月22日(最終訪問日 2014年12月14日) | |
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◆概要◆ 四ツ山城の築城年代や築城者は不明ですが、太田道灌が1480年に書いた書状に「高見在番衆」の名が登場することから、この年代に築かれた可能性があります。 当時の状況は古河公方と関東管領・上杉家が争った享徳の乱が終結したばかりで、1478年には山内上杉家の家宰の家督問題で謀反を起こした長尾景春が抵抗を続けている時期でした。 長尾景春はここからすぐ西の秩父郡や児玉郡を中心に活動していましたが、1480年6月に降伏しています。 すぐ南にはやはり太田道灌が築いたと考えられている高谷砦があり、長尾景春の動きを封じる役割を果たしていたのかもしれません。 『新編武蔵風土記稿』では、1487年に没した増田重富の居城であったと記されています。 1488年には山内上杉家と扇谷上杉家が「高見原の戦」で激戦を演じました。 同年に実蒔原と須賀谷原で勝利していた扇谷上杉定正が、鉢形城に拠る山内上杉顕定を攻めたものです。 この戦いでも扇谷上杉軍が勝利しましたが、自力に勝る山内上杉家を追い詰めるまでには至りませんでした。 城主がわからないということで、戦の時にだけ使われた陣城の可能性もあります。 後北条氏のこの城を使ったようですが、戦国時代特有の凝った造りではなく、それ以前の時代の割と簡潔な造りです。 1590年に豊臣秀吉が後北条氏を討伐しましたが、この時にもココに兵が置かれたようです。 その様子は『関八州古戦録』に記載されているそうですが、そこでは「北条氏邦の家人が籠ったが、戦わずして鉢形城へ逃げた」という内容です。 その後、関東では大きな戦が起きていないため、この時に廃城になったものと思われます。 |
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説明板の図 |
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四ツ山神社が城跡です 登城路=神社の参道なので歩きやすいです 遺構の案内もあります(ココは犬走跡) 不動明王尊は一本郭(腰郭)です 山上の城跡へ一直線に登ります 本郭に神社があります 説明板は本郭にあります 本郭からの眺め 社殿の右脇に虎口があります 本郭と二郭の間の堀切 堀切から本郭側を見た所 二郭内の様子 二郭の土塁 二郭と三郭の間の堀切 三郭内の様子 三郭先端の堀切 堀切から三郭を見た所 |
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