山口城
所在地:埼玉県所沢市山口
2017年7月20日更新(訪問日:2014年12月14日) | |
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◆概要◆ 現地の説明板によると、城は平安時代から戦国時代にかけてこの辺り一帯を支配した山口氏のものであったそうです。 山口城は平安時代末頃、武蔵七党の村山党・村山頼家の子・山口家継により築かれました。 1368年の武蔵平一揆で山口高清が河越氏に味方したため、関東公方・足利氏満に攻められて落城しました。 また、1383年には子の山口高治が南朝方に味方して挙兵したため再び足利氏満に攻められ、城に火を放って自害しています。 この戦の後、子の山口高忠は武蔵守護代・大石氏の家臣となり、西の狭山湖畔に根小屋城を築いて居城を移しています。 山口氏は主家である大石氏とともに後北条氏に従い、1590年に豊臣秀吉により後北条氏が滅ぼされると廃城となりました。 廃城後は畑や宅地となり、堀はため池として使われていたそうです。 2000年にスーパーが建設されることになった時は、当初は土塁や堀を無くす予定だったそうです。 しかし、史跡の保存運動により一部が残され、現在も見ることが出来るようになっています。 |
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説明板の図(1号と2号の土塁が残っています) |
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「山口城趾前」交差点 交差点の南東が城跡 城址碑と説明板 1号土塁 2号土塁(スーパー側から) 2号土塁(線路側から) |
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