高坂館

所在地:埼玉県東松山市高坂(高濟寺)
2017年6月25日更新(訪問日:2014年12月14日)

◆概要◆


高坂館は武蔵平一揆の乱(1368年)で没落した高坂氏の館であると考えられてきました。 しかし、すぐ南側で行われた発掘調査の結果、高済寺のものとは別の13〜14世紀のものと見られる堀跡が発見されました。 そちらは「高坂弐番町遺跡」と呼ばれており、現在では高坂氏の館はそちらである可能性が高くなっています。 高済寺にある堀と土塁は、1562年に北条氏政が松山城を攻める際に築いた陣のものです。 後北条氏が滅ぼされた後、当地に加賀爪政尚が入部して当地に陣屋を築きました。 加賀爪氏は加々爪氏とも表記される扇谷上杉氏の一族で、今川範政(1364-1433)の嗣子となった上杉政定を祖とします。 今川氏滅亡後は徳川家康の家臣となっていました。 加賀爪氏は高坂藩3000石でからはじまり1万3千石まで領地を増やしましたが、1681年に成瀬正章との知行地境界問題が元で改易されました。 現状は高済寺の境内となっていますが、創建がいつなのかわかりませんでした。 加賀爪氏の菩提寺なので陣屋があった頃にはすでに建立され、陣屋が無くなって寺域を拡大したのかもしれません。
高坂館
高済寺(「済」は本当は難しい字です)
高坂館
お寺の正面側から見た土塁
高坂館
土塁の手前からはお寺が見えません
高坂館
土塁の西側に空堀があります
高坂館
土塁の上の様子
高坂館
加々爪氏累代墓所の案内碑
高坂館
奥から見た土塁
高坂館
土塁脇の堀は奥へ進む程深くなります
高坂館
空堀の開口部
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