伝源経基館

所在地:埼玉県鴻巣市大間
2017年7月17日更新(訪問日:2014年12月14日)

◆概要◆


平安時代に武蔵に赴任した清和源氏の祖・源経基の館だとする伝承がありますが、現在の所それを実証するものはありません。 ここが源経基の館だと記載した史料が『新編武蔵風土記稿』の巻150足立郡之十六らしいのですが、記述内容がわからず…。 ググっても出てこないので、それを読んだ誰かがそう書いたものを信じるほかないという感じです。 1987年と1995〜96年に発掘調査が行われて掘立柱建物跡が発見されたものの、年代を特定することは出来ていません。 源経基は938年に武蔵介として赴任し、この時に築いた居館がココだとされています。 赴任した源経基はさっそく検注(検地のような事)を始めますが、これが引き金となり足立郡司の武蔵武芝と対立します。 武蔵武芝はやがて平将門を味方に引き込み、源経基は慌てて京へ逃げ帰りました。 そのため、ここで暮らしていたとしても、1年に満たない短い期間でした。 940年に平将門が乱を起こすと、源経基は征東大将軍・藤原忠文の副将に任ぜられました。 源経基はその後、武蔵・信濃・筑前・但馬・伊予の国司を歴任し、鎮守府将軍の位にまで昇り詰めました。
伝源経基館
道路に面して説明板があります
伝源経基館
標柱
伝源経基館
入口の案内
伝源経基館
土塁を乗り越えて入ります
伝源経基館
単郭方形館ですがかなり広いです
伝源経基館
土塁上にある「六孫王経基城址」の石碑
伝源経基館
土塁の外側を堀が囲みます
伝源経基館
すぐ隣は鴻巣高校です
伝源経基館
いつまでも良い状態で残りますように
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