岩槻城

所在地:埼玉県さいたま市岩槻区太田3丁目
2008年10月6日(訪問日:2008年10月4日)

◆概要◆


岩槻城は岩槻藩の藩庁だった所です。 江戸時代以前には岩付城とも表記されました。 元荒川と沼を天然の堀とした全国でもめずらしい総曲輪型城郭です。 現在は岩槻城址公園となっており、新曲輪跡に黒門と裏門が移築現存しています。 築城時期と築城者には2つの説があります。 1つは1457年、扇谷上杉家の太田道灌による築城説。 もう1つは1478年、古河公方に従っていた成田自耕斎正による築城説です。 1524年に後北条家に寝返った太田資頼が、扇谷上杉家から奪いました。 しかし、同年内に扇谷上杉家の援軍として駆けつけた甲斐武田軍に攻められ降伏します。 以後、争奪戦を繰り返しながら、最終的に太田資頼の城となりました。 1546年に扇谷上杉家が滅びる河越夜戦がありましたが、後北条軍に攻められながらも太田資正は持ちこたえました。 1564年、太田資正の留守中に嫡男・太田氏資が城を乗っ取り、北条氏康に内応します。 その3年後に太田氏資が戦死し、跡継ぎが無かったため、後北条氏直轄の城となりました。 1590年に後北条氏が滅ぼされてからは徳川家の城となり、短い期間で城主が交代しました。 1756年以降は大岡氏が城主となり、明治維新まで続きました。
岩槻城
岩槻城址公園
岩槻城
黒門
岩槻城
裏門
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