若江城

所在地:大阪府東大阪市若江北町
2012年3月4日(訪問日:2011年8月2日)

◆概要◆


若江城は1382年に河内国守護となった畠山基国が守護代・遊佐長護とともに築きました。 当時は南北朝時代であり、畠山基国は北朝方に属していました。 その3年前の康暦の政変により細川頼之が失脚し、細川頼之を後ろ盾としていた楠木正儀が南朝に属したことに備えたものでした。 西の大和川と北の菱江川、東の玉串川を天然の外堀としており、周辺に対しての軍事行動をとりやすい地理的条件を備えていました。 また、築城と同時に、河内街道、十三街道を整備し、若江城城下で交差するように設計されました。 以後、若江城は200年にわたって河内国経営の中心的役割を果たしました。 戦国時代になると三好長慶が若江城を奪い、一時本拠地としました。 1573年に織田信長が畿内に進出した際、若江三人衆と呼ばれる三好家筆頭の重臣達が叛いたため落城。 三好長慶の跡を継いでいた三好義継は自害し、三好氏嫡流は滅亡しました。 その後、織田信長と石山本願寺との戦いでは織田軍の前線基地として機能しましたが、1581年に両者が和睦することでその役割を終えました。 織田信長の死後、羽柴秀吉により大坂城の築城が始まると廃城となりました。 現在遺構は全く残っておらず、城の中心部であった若江公民館分館に説明板が設置されているのみです。

若江城 城跡
城跡
若江城 説明板
説明板
若江城 城跡
城跡
若江城 説明板
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