高槻城
所在地:大阪府高槻市城内町(高槻城跡公園)
2011年9月4日(訪問日:2011年8月4日) | |
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◆概要◆ 京と大坂のちょうど中間地点にあり、争乱の絶えない所でした。 1553年に三好長慶の家臣・入江春継が城主となりましたが、1568年に織田信長に攻められて開城しました。 その翌年に城主の入江春継が本圀寺の変で自害したため、織田信長は和田惟政を城主としました。 戦国時代には三好三人衆と織田信長が争い和田惟政が城主となりましたが、和田惟政も数年後には戦死しました。 その子・和田惟長が城主を継ぎましたが、家臣だった高山飛騨守・右近親子に追放されるなどしてたびたび城主が入れ替わりました。 徳川家康が豊臣家を滅ぼすと一国一城令を出して全国の城が廃城となりましたが、高槻城は近隣の淀城とともに西国への備えとして残され、改修されました。 明治時代になるとその役割を終え、東海道線の建設資材供給のため破却されました。 現在は高槻城跡公園として整備されているほか、本行寺には門が移築され現存しています。 |
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幕末期の高槻城 |
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説明板 城址碑 別の城址碑 高山右近像 石垣 永井神社 永井神社にある移築唐門 本行寺 本行寺にある移築高麗門 |
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