下赤坂城

所在地:大阪府南河内郡千早赤阪村森屋
2011年12月29日(訪問日:2011年8月1日)

◆概要◆


鎌倉幕府倒幕のため後醍醐天皇が山城国・笠置山で挙兵した際に楠木正成により築かれました。 下赤坂城は上赤坂城の出城として位置づけられ、鎌倉幕府軍が攻め寄せた際は最前線となりました。 鎌倉幕府の大軍に攻められて下赤坂城は20日ほどで落城しましたが、楠木正成はゲリラ戦法により100日以上もの間、鎌倉幕府軍を釘付けにしました。 その間に足利高氏(のち尊氏)が六波羅探題を、新田義貞が鎌倉を攻め落としたため、鎌倉幕府は滅亡しました。 その後、後醍醐天皇による親政が始まりましたが、足利尊氏との対立により建武政権が瓦解し、南北朝時代が始まりました。 楠木正成は後醍醐天皇の南朝方に属して足利尊氏と戦いましたが、湊川の戦いで戦死しました。 その後も楠木氏は上赤坂城を本拠に抵抗を続けましたが、1360年に下赤坂城は落城しました。 城域は赤坂中学校や役場周辺と考えられていますが、遺構は残っていません。 中学校裏に案内板と城址碑があり、その西側には日本棚田百選に選ばれた下赤坂棚田があります。

下赤坂城 案内板と城址碑
現地案内板と城址碑
下赤坂城 午後は逆光
城址碑は午後は逆光になります
下赤坂城 棚田
眼前に広がる棚田
inserted by FC2 system