大和田城

所在地:大阪市西淀川区大和田4丁目
2012年3月11日(訪問日:2011年8月4日)

◆概要◆


大和田城は織田信長との戦に備えて石山本願寺が築き、下間氏を城代としました。 地理的に淀川河口付近にあり、大坂湾から石山本願寺への水上交通の要となる位置にありました。 織田信長との戦の際には毛利水軍がここを通って石山本願寺へ兵糧を運び込んでいました。 しかし、荒木村重により攻め落とされると、石山本願寺を包囲する重要な拠点のひとつとなりました。 1580年に織田信長と石山本願寺が講和を結び石山合戦は終わりましたが、織田信長は大和田城の改修を命じました。 その後、大坂の陣では安部仁右衛門が当地を守っていたようです。 大和田城の正確な位置は遺構が全く存在しないため不明ですが、おおよそ大和田4丁目から5丁目だろうと推測されています。 大和田小学校正門のすぐ内側に写真の城址碑がありますが、元々は城垣内町(現在の大和田5丁目)にあり、住宅建設のため現在地に移されました。

大和田城 大和田小学校
大和田小学校
大和田城 城址碑
城址碑
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