太田城

所在地:大阪府茨木市太田1丁目
2012年3月24日(訪問日:2011年8月4日)

◆概要◆


築城年は不明ですが、平安時代末期に太田頼基により築かれたと考えられています。 一番古い書物では『平家物語』巻第四の1180年4月9日の所に太田頼基についての記載があります。 有名なのは『平家物語』巻第十二に記載されている「河原津の合戦」です。 1185年10月30日夜、源頼朝から追討されると噂が流れ手勢500騎を率いて西国に落ち延びようとする源義経を「我が門の前を通しながら、矢一つ射かけであるべきか」と60騎で追い、安威川沿いで源義経に矢を射かけたという戦いです。 この戦いでは太田頼基自身も負傷し敗れましたが、鎌倉への忠節を示した勇敢な武将であると称えられています。 太田頼基は多田源氏(摂津源氏)とされることも多いですが、大和源氏の祖・源頼親の系統です。 ただし、太田頼親は摂津にも多数の領地があり、その子孫の中で摂津の領地を継承したものと思われます。 その後、1528年2月に丹波の波多野稙通が主君で管領の細川高国を攻めた際に落城し、そのまま廃城になったと考えられています。 城跡の大半は東芝の工場となりましたが、工場建設の際の発掘調査では何も出土しなかったそうです。

太田城
木の陰で場所はわかりにくい
太田城 説明板
説明板
太田城 城址碑
説明板の足元にある城址碑
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