三宅城

所在地:大阪府茨木市蔵垣内3丁目
2012年3月16日(訪問日:2011年8月4日)

◆概要◆


三宅城は室町時代に三宅氏により築かれましたが、築城時期は2つの説があります。 1つめの説は室町時代初め頃で、『室町幕府御教書』(1352年)に三宅左衛門が登場します。 もう1つの説は、細川高国が1504年に三宅国政に命じて築いたというものです。 城の規模は東西600メートル、南北540メートルとかなり大規模でした。 その後、三宅氏は他の豪族同様、細川氏の内紛や三好氏の内紛に巻き込まれ翻弄されました。 廃城時期にも2つの説があります。 1つめは、1548年に香西元成に攻め落とされ三宅国政が自刃した時とする説。 もう1つの説では、この時三宅国政は落ち延びて後に城主に復帰。 1562年に三好長慶と敵対した畠山氏に味方したものの、畠山氏が敗れたため城を捨て、そのまま廃城となったとする説です。 城跡は現在市街地となって遺構は残っていませんが、堀田・蓮池・大名寺池などの地名が当時の様子を偲ばせます。 住宅に囲まれた蔵垣内公園に、三宅城の城址碑と説明板が設置されています。


城跡の公園

説明板と城址碑

城址碑
inserted by FC2 system