目垣城

所在地:大阪府茨木市目垣1丁目
2012年3月20日(訪問日:2011年8月4日)

◆概要◆


目垣城は築城年、廃城年、築城者とも不明ですが、土豪・溝咋氏が居城としていました。 江戸時代初頭に編纂された『摂津志』では、山田13城(吹田市にあった山田城の13の支城)の1つに目垣城を挙げています。 領内にある溝咋神社の社殿は何度か再建されていますが、応仁の乱が終結した1477年の再建は城主の溝咋兵庫介質信によるものです。 溝咋神社は日本書紀にも登場する程古くからある神社で、溝咋耳命、溝咋玉櫛媛命などが祀られていることから、溝咋氏はかなり力のある土豪であったと考えられます。 溝咋神社は雨乞いの霊験も著しく、旱魃の際には雨乞いをしたところ、たちまち雨が降り出したと伝わります。 その後、1560年頃に長谷川式部少輔により社殿が再建されています。 長谷川氏は織田信長の家臣であり、江戸時代には2000石の旗本として代々当地を治めていました。 城址碑の正面にある佛照寺は茨木市内最古の寺院で、親鸞の直弟子・勝光坊西順により鎌倉時代に創建されました。 室町時代には蓮如の本願寺派となり、茨木周辺での布教の一大拠点となりました。 現在、城郭の遺構は皆無であり、佛照寺山門の正面にある私有地内に城址碑がひっそりと設置されているのみです。

目垣城 佛照寺山門
佛照寺の山門
目垣城 佛照寺山門
佛照寺山門の正面
目垣城 城址碑
城址碑
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