久宝寺城

所在地:大阪府八尾市久宝寺6丁目
2012年3月4日(訪問日:2011年8月2日)

◆概要◆


久宝寺城は室町時代に渋川満貞が城を築いたことに始まります。 渋川満貞は畠山満基の子で、渋川郡(久宝寺城周辺)を領有したことから渋川姓を名乗るようになりました。 渋川満貞の嫡子・光重は播州安井郷を受領し、安井姓に改姓しました。 安井氏は河内守護・畠山氏に仕え、1479年に蓮如が久宝寺跡地に西証寺を築く際に協力しています。 西証寺は周囲に環濠を設けて寺内町を形成し、その支配権は安井氏に委ねられていました。 戦国時代になると安井氏は畿内に進出してきた織田信長に仕えました。 しかし、織田信長は石山本願寺と対立し、1577年に久宝寺城が本願寺軍に攻め落とされ安井定重とその弟・定正が討死しました。 寺内町はその後も存続しましたが、江戸時代に入り本願寺が東西に分裂すると久宝寺御坊内でも対立が生じました。 一部の門徒は大和川(現・長瀬川)対岸の荒地を開墾し、現在の八尾市中心部となる八尾寺内町を形成しました。 現在でも寺内町時代の町割がそのまま残っており、環濠や土居の一部も名残を留めています。 城址碑は通りから1本入り込んだ路地の角にあり、目立った目印も無いため見つけづらかったです。

久宝寺城 城址碑周辺
城址碑周辺
久宝寺城 城址碑
城址碑
久宝寺城 石碑
説明文が彫られた石碑
久宝寺城 石碑の文面
石碑の文面
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