古河藩陣屋

所在地:大阪市平野区平野宮町1丁目(平野小学校)
2012年3月3日(訪問日:2011年8月2日)

◆概要◆


古河藩の陣屋は平野郷にありました。 平野郷は平安時代の初め頃は坂上田村麻呂の子・広野麻呂の荘園であり、当時は「広野荘」と呼ばれていましたが、次第に訛り「平野庄」と呼ばれるようになりました。 その後寄進され、約500年間は宇治平等院の荘園でした。 中世には大念仏寺が築かれ、末吉氏を中心に自治都市となりました。 戦国時代には自衛のため環濠を掘りましたが織田信長に降伏。 豊臣秀吉により環濠は埋められ、有力者は大坂や天王寺などに強制的に移住させられました。 そのため、大坂の陣では徳川方に協力的であったと伝わります。 大坂の陣の戦後、荒れ果てた平野郷を整備するため天領となり、末吉氏を代官として環濠も掘り直されました。 その後、一時は川越藩、高崎藩の領地となりましたが、1713年に古河藩の領地となってからはそのまま明治維新を迎えました。 現在、陣屋跡は平野小学校となり、陣屋門が大念仏寺に移築され現存しています。

古河藩陣屋 平野小学校
平野小学校の正門
古河藩陣屋 石碑
石碑
古河藩陣屋 移築門
移築門(大念仏寺)
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