岸和田城
所在地:大阪府岸和田市岸城町
2019年1月2日更新(最終訪問日 2018年12月22日) | |||
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◆概要◆ 別名「千亀利城」(ちきりじょう)とも呼ばれます。 猪伏山と呼ばれた小高い丘の上にあり、本丸と二の丸を合せた形が機の縦糸を巻く器具「縢」(ちきり)に似ていることに由来します。 南北朝時代はじめに楠木正成の代官・和田高家が岸和田に配置され、古城を築きました。 その後、山名氏清が和泉守護になった1382年に現在地に城が築かれました。 戦国時代には三好氏の城となり、畿内と四国を中継する重要な拠点となりました。 織田信長が石山本願寺と争った際にも、毛利水軍が岸和田城を拠点として兵糧を運び込むなどしています。 1584年に羽柴秀吉が小牧・長久手の戦で不在の隙を突き、根来衆や雑賀衆などの大軍に攻められましたが、持ちこたえました。 羽柴秀吉は翌年になると彼らを討伐するため紀州に出陣しましたが、この時の羽柴軍の拠点にもなりました。 江戸時代には1640年に岡部宣勝城主となって以降、13代にわたり岡部氏の居城となりました。 城は1871年の廃藩置県により廃城となりました。 現在は城内に多数の桜の木が植えられ、春には花見の名所となります。 |
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本丸前にある岸和田城絵図(字が小さいので書き加えています) |
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駐車場から見た二の丸の石垣と天守 内堀の西角から見た本丸隅櫓 二の丸から見た本丸 本丸の門 天守 二の丸 二の丸多聞 伏見櫓跡 内堀(北側) 内堀(北側) 内堀の東角から見た天守 本丸南東の門跡 内堀の南角から見た天守 内堀(南側) 外側から見た二の丸多聞 二の丸の堀(北側) 二の丸伏見櫓跡の石垣(北の角) 二の丸の堀(西側) |
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