交野城
所在地:大阪府交野市私部
2011年9月23日(訪問日:2011年8月3日) | |
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◆概要◆ 交野城は免除川南側の東西に延びる丘陵に築かれました。 安見清儀は楠木正儀が粗坂山で激戦の際に交野軍39士の一人として南朝軍に参戦したと伝わっています。 その後、理由は不明ですが安見清儀は北朝方に寝返り、畠山義深に仕えるようになりました。 安見氏は遊佐氏、木沢氏と並んで代々畠山氏の重臣となり、守護代になったこともあります。 その9代後、安見宗房は三好長慶との戦いに敗れて一時は領地を失いましたが、織田信長が畿内に勢力を伸ばすとこれに従い、勢力を回復しました。 しかし、安見宗房が没すると1573年に筒井順慶に攻められ落城しました。 その後、織田信長により河内国内のほとんどの城が廃城とされ、交野城も廃城となりました。 現在城跡は宅地化が進んでいますが、主郭、二郭、三郭と堀切や土塁などが残っています。 |
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堀跡 堀跡 堀跡 堀の向こう側が主郭です 城址碑周辺 城址碑 |
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