和泉野田城

所在地:大阪府堺市東区南野田
2018年11月11日更新(訪問日:2011年8月2日)

◆概要◆


鎌倉時代末期に楠木正成配下の野田正勝により築かれました。 城地は約200メートル四方の微高地であり、周囲を西除川が流れて天然の堀を形成していました。 後醍醐天皇に呼応して楠木正成が上赤坂城で挙兵した際、急ごしらえの張りぼての城を築いて鎌倉幕府の大軍をおびき寄せ、楠木正成が戦に備える時間を稼いだという伝承があります。 その後、朝廷(南朝)と足利尊氏(北朝)が対立すると、野田氏は楠木氏とともに南朝に従い、野田城は足利氏の軍勢により攻め落とされました。 現在、城跡は南海電鉄高野線の北野田駅となっています。 数年前までは写真の線路沿いにあるフェンス内に木製の城址碑があったが無くなり、西除川の流れとその地形がかつてそこに城があったという面影を伝えるのみです。

※現状が気になりストリートビューを見たら、南側にある公園の踏切脇に城址碑がありました。 ストリートビューが撮影されたのは2015年3月です。

和泉野田城
以前城址標柱があった場所
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