茨木城

所在地:大阪府茨木市片桐町
2011年8月16日(訪問日:2011年8月4日)

◆概要◆


茨木城は茨木川と安威川に挟まれた所に築かれ、両川を天然の堀としていました。 茨木市の中心地で市街地化され遺構は残っていませんが、旧図や町名などから、東西200メートル、南北300メートル程の規模であったと推測されています。 いつ誰により築かれたのかは定かではありませんが、楠木正成によって築かれたという説があります。 室町時代前半は茨木氏が居城としていましたが、荒木村重に攻め滅ぼされ、茨木城は荒木村重と行動を共にしていた中川清秀のものとなりました。 中川清秀の子・秀政が播磨国の三木城へ移った後は羽柴秀吉の直轄となりましたが、関ヶ原の戦の後は片桐且元・貞隆兄弟が城主となりました。 その後、1615年の一国一城令により廃城となったため、片桐且元の子・孝利は大和龍田城へ、片桐且元の弟・貞隆は大和小泉城へと移りました。 現在、城跡は茨木小学校の敷地となり遺構は残されていませんが、近くの茨木神社に移築された搦手門が残っています。 また、奈良県大和郡山市小泉にある慈光院の表門も、茨木城の門を移築したものであると伝わっています。 茨木小学校には、この慈光院の表門をモデルにした櫓門が復元されています。

茨木城 移築搦手門
茨木神社にある移築搦手門
茨木城 復元櫓門
茨木小学校にある復元櫓門
inserted by FC2 system