榎並城

所在地:大阪市城東区野江4丁目(榎並小学校)
2012年3月9日(訪問日:2011年8月4日)

◆概要◆


榎並城は1533年頃、三好政長により築かれました。 周囲を川に囲まれた要害であった半面、しばしば水害に見舞われていました。 そのため、築城時に水難除けを祈念し、城内に野江水神社が創建されました。 三好政長は三好氏嫡流である三好元長とは不仲だったため、主君・細川晴元に讒言して三好元長を攻め滅ぼしました。 1548年、三好元長の子である三好長慶は、主君である細川晴元に三好政長を討つよう働きかけましたが応じませんでした。 すると、三好長慶は細川晴元の政敵・細川氏綱側に鞍替えし、三好政長の居た榎並城を攻めました。 三好政長は半年以上もの間にわたり三好長慶の攻撃を凌ぎ続けた後、局面を打開しようと江口城へ移りました。 ここで六角氏の援軍が近江から到着するのを待って逆襲に転じる作戦でしたが、その前に三好長慶により江口城が攻め落とされてしまい、三好政長は討死しました。 榎並城は三好政長の子・三好政勝が守っていましたが、父が討死したことを知ると瓦林城に撤退しました。 榎並城はこの時に廃城になったと考えられています。 三好政長の討死によって細川晴元は13代将軍・足利義輝とともに近江へ避難しました。 この時に和泉守護・細川晴賢と細川元常も同行したため、三好長慶はやすやすと和泉国も勢力下に収めました。 細川晴元はこれにより失脚し、代わって三好長慶が室町幕府の管領となりました。 現在、城跡と推定される場所には榎並小学校があり、正門脇に城址碑があります。

榎並城 榎並小学校と城址碑
榎並小学校と城址碑
榎並城 城址碑
城址碑
榎並城 野江水神社
野江水神社
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