家原城

所在地:大阪府堺市西区家原寺町
2012年3月1日(訪問日:2011年8月2日)

◆概要◆


築城年代および築城者は不明ですが、戦国時代は三好長慶の家臣・松永久秀の城でした。 三好長慶の弟・十河一存が1561年に急死し、翌1562年には弟・三好義賢が畠山高政との久米田の戦いで戦死しました。 畿内に勇名を轟かせた三好長慶の弟2人が相次いで世を去ると、河内の畠山高政と南近江の六角義賢がともに三好領へ攻め込みました。 しかし、松永久秀が彼らを撃退したことにより地位を高め、三好長慶の死後は独立して主家・三好家と争うようになりました。 家原城は松永久秀の和泉国での拠点の1つでしたが、1568年に三好政康に攻められて落城しました。 説明板に描かれた明治時代の絵図では、城は本丸を中心に西の曲輪と南の曲輪が付随しています。 その周りを囲むように石津川が流れ、南の大池ともども巧みに防御に利用していることが窺われます。 現在、城跡の大部分は公団住宅となっていますが、南の曲輪の一部が公園(立入禁止)となっており、城址碑と説明板が設置されています。

家原城 城址碑と説明板
城址碑と説明板
家原城 城址碑
城址碑
家原城 説明板
説明板
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