千早城
所在地:大阪府南河内郡千早赤阪村千早
2019年1月2日更新(最終訪問日 2018年12月22日) | |||
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◆概要◆ 金剛山中腹にある支脈に築かれた山城で、金剛山山頂方向以外は急斜面に囲まれています。 登城口からの比高は150メートルあり、至る所に要塞を築き、中心部には5つの曲輪があります。 金剛登山口から石段を登った所にある細長い広場が四の丸です。 さらに奥へ進むと城址碑のある三の丸、千早神社のある二の丸と続き、その上に本丸があります。 上赤坂城の詰城として築かれ、楠木正成が鎌倉幕府の討伐軍をゲリラ戦法で翻弄したことで有名です。 鎌倉幕府軍は全国各地の守護から構成されていましたが、千早城での戦に幕府軍の主力が釘付けにされました。 その間に全国の有力御家人が後醍醐天皇による倒幕の綸旨に従い、新田義貞が鎌倉を攻め落とすことにより鎌倉幕府は滅亡しました。 足利尊氏が後醍醐天皇に背いて南北朝時代が始まりますが、楠木氏は終始南朝側として活動しました。 1392年に北朝方の畠山基国に攻められて落城して廃城となりました。 楠木一族は吉野十津川へと落ち延びました。 |
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案内図 |
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上がる時に見えるまつまさ まつまさの駐車場 真正面から見たC 南側の登城口 南側の登城口 南側の登城路 四の丸 三の丸にある城址碑 二の丸にある千早神社 本丸への立入りは遠慮下さいの立て札 本丸南側にある腰曲輪の展望台 脇の道から見た本丸 金剛山登山道から城跡への分岐 分岐付近から見下ろした登山道 途中にもある城跡への分岐 |
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