芥川城

所在地:大阪府高槻市殿町
2012年3月25日(訪問日:2011年8月4日)

◆概要◆


芥川城は築城年は不明だです、鎌倉時代後期に芥川氏により築かれたと考えられています。 芥川氏は鎌倉幕府の御家人であり、真上氏や溝杭氏らの指揮下にあり、武装蜂起した百姓の鎮圧に赴いた記録が残っています。 鎌倉幕府滅亡の際、仕えていた真上氏らが六波羅探題の北条仲時と運命を共にして滅びました。 その後に勢力を拡大したのが、真上氏の縁者であった芥川氏でした。 芥川氏は北摂津の土豪を束ね、国人一揆の中心人物となりました。 1467年に応仁の乱が始まると芥川氏らは東軍に属して戦いました。 しかし、西軍の大内政弘に攻められ三宅・吹田・茨木氏らと共に降伏し、以後芥川氏が文献に登場しなくなります。 その後、1515年に細川高国配下の能勢頼則により、芥川城の北にある三好山に新たに城が築かれました。 どちらの城も文献上では「芥川城」と記載されているため、この時点で既に廃城になっていたと考えられています。 能勢氏により築かれた城は便宜上「芥川山城」と呼ばれて区別されています。 現在、城跡は完全に住宅街となって遺構は残っておらず、民家の生垣に城址碑が設置されているのみです。

芥川城 城址碑
芥川城 城址碑
城址碑
芥川城 城址碑
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