大里城

所在地:沖縄県南城市大里(大里城址公園)
2012年7月16日(訪問日:2012年6月30日)

◆概要◆


大里城の築城年および築城者は不明ですが、山南王・承察度が中山への備えとして弟・汪英紫に築かせたという説があります。 山南の拠点は南山城(島尻大里城)というのが定説ですが、山南の拠点としては規模が小さいため、大里城(島添大里城)が山南の拠点であったとする説もあります。 汪英紫はその後次第に勢力を拡大して1388年より独自に明への朝貢を行い、1398年頃には3代目・承察度を滅ぼして山南王となっています。 汪英紫は近隣の佐敷按司である尚巴志とは協力関係にあったとする説があります。 しかし、孫の他魯毎(たるみい)が後に尚巴志により滅ぼされています。 城跡は首里城拡張の際に石垣を運ばれたとされ、更に大里城址公園整備の際にも遺構が破壊されたため、明確な城壁はあまり残っておらず、所々にその名残が残されていだけです。 集落の共同水源であった「包井(チチンガー)」の石垣だけは良く保存されています。
大里城 説明板
説明板
大里城 石積み
正殿跡に残る石積み
大里城 一の郭
一の郭
大里城 説明板
説明板
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