津山城
所在地:岡山県津山市山下
2019年8月18日更新(最終訪問日 2019年8月7日) | |||
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◆概要◆ 嘉吉年間(1441〜44年の間)に美作国守護・山名教清が、一族の山名忠政に命じて津山城のある丘に鶴山城を築かせました。 しかし、応仁の乱(1467〜77年)により山名氏の勢力は衰退し、乱終結後に鶴山城は一度廃城となりました。 関ヶ原の戦が終わった後、美作国の領主となった森忠政により地名が「津山」に改められ、鶴山城跡に城を築きました。 1616年、五層の天守と60棟の櫓がひしめく大規模な城が完成しました。 この時に築かれた備中櫓の名の由来は、森忠政の娘婿・池田備中守長幸とされます。 天守は破風を持たない四重五階の独立型層塔形式で、小倉城天守を模して造られたといわれています。 しかし、1873年(明治6年)の廃城令により、他の建物と共に破却されました。 鶴山公園となった1897年頃より桜が多数植えられ、日本さくら名所100選にも選ばれています。 2005年(平成17年)に備中櫓が復元されました。 |
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三の丸の石垣 忘れ去られた石 森忠政像 冠木門跡にあるゲート 冠木門跡の枡形 三の丸 表中門跡 表中門から弓櫓へ続く石段 四ツ足門から見える備中櫓 四ツ足門跡 四ツ足門跡付近から見た備中櫓 二の丸 二の丸から見た本丸多門櫓の石垣 切手門跡 太鼓櫓の石垣 太鼓櫓脇の門跡 本丸東側の犬走 本丸北東の門跡(通行不可) 栗積櫓の石垣 本丸東側の石垣 裏鉄門跡 表鉄門跡 表鉄門跡から見た本丸 裏から見た備中櫓 備中櫓脇の五番門跡 天守台 多門櫓跡 天守台を囲む石垣 天守台内部 天守台から見た五番門跡と備中櫓 |
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