角牟礼城
所在地:大分県玖珠郡玖珠町大字太田
2021年12月7日更新(訪問日 2019年8月8日) | |||
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◆概要◆ 角牟礼城は鎌倉時代末から室町時代にかけて、玖珠郡衆の森氏により築かれました。 史料への初出は1475年の『志賀文書』に「くすつのむれの城らっきょ」と記されています。 戦国時代には大友氏の支配下にあり、1583年に島津軍に攻められましたが落城しませんでした。 大友義統が改易された後は日田・玖珠2郡の領主となった豊臣家臣の毛利高政が城主となり、石垣の城に改修しました。 関ヶ原の戦の後は瀬戸内海で来島水軍を率いていた来島長親が森藩主となりましたが、角牟礼城には入らず森陣屋を構えました。 そして2代藩主・久留島通春の頃には「古城」と記されており、廃城になったと考えられています。 城跡へは駐車場となっている三の丸まで車で登ることが出来、石垣が良好に残っています。 2017年4月6日に続日本百名城に選出されました。 |
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案内図 |
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わらべの館 わらべの館 三の丸の門跡 三の丸を囲む石垣 三の丸を囲む石垣 三の丸を囲む石垣 駐車場の外も三の丸 駐車場の外も三の丸 本丸方向への道 大手門跡下の石垣 大手門跡下の石垣 大手門跡前の石垣 大手門跡 大手門跡 大手門上にある段々の曲輪 二の丸西曲輪の石垣 二の丸西曲輪の石垣 二の丸 西門跡 西門跡 西門跡 角牟礼神社 展望台 展望台からの眺め 展望台と本丸の間 本丸 本丸 本丸を囲む帯曲輪 本丸隅櫓跡の石垣 土塁 |
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