佐伯城
所在地:大分県佐伯市西谷町
2019年8月31日更新(最終訪問日 2019年8月9日) | |||
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◆概要◆ 関ヶ原の戦での功により、毛利高政に佐伯の地が与えられました。 それまでの領主であった佐伯氏は山城の栂牟礼城を居城としていましたが、平時の統治には不便でした。 そのため、毛利高政は栂牟礼城を廃し、番匠川河口近くの八幡山に新たに佐伯城を築きました。 総石垣の本丸、二の丸、西出丸、北出丸、捨曲輪を連郭式に配置し、3代・毛利高尚の時に三の丸を加えました。 三重の天守があった本丸と本丸外曲輪を中心に二重櫓5基、平櫓1基、門7棟などがありました。 本丸と二の丸は掘切で遮断され、当時は廊下橋が渡されていたと考えられています。 江戸初期の火事と放棄、明治時代の破却によって山城部分は建物を失いましたが、主郭部の石垣と三の丸御殿の正門が三の丸に現存しています。 また、三の丸御殿の一部が市内船頭町に地区集会所(住吉御殿)として移築現存しています。 この他、お浜御殿が城下町佐伯国木田独歩館として、三の丸御殿敷台が佐伯市船頭町の公民館としてそれぞれ現存しています。 |
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城山の案内図 |
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三の丸櫓門と城山 三の丸の石垣 三の丸櫓門 三の丸の石垣 三の丸 登城口 登城の道 西の丸下の石垣 西の丸の門跡 西の丸 西の丸 西の丸の石垣 二の丸の門跡(西の丸側) 二の丸の門跡(二の丸側) 二の丸 二の丸と本丸の間 二の丸と本丸の間 本丸から見た二の丸 本丸の石垣 本丸の虎口 本丸 本丸から見た北の丸 本丸の石段 本丸の石段 本丸の虎口(北の丸側) 本丸の石垣 若宮の道下り口 北の丸から見た本丸 北の丸 独歩の道 |
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